【大阪府3部から、関西1部へ。OsakaCitySC 5年間の軌跡】

コラム

大阪府3部から関西1部へ――OsakaCitySC、5年間の軌跡

ゴルフ場の下にあるフットサルコート。

そこが、かつてOsakaCitySCの練習拠点だった。

選手は約15人。スタッフは代表の山地泰平ただ一人。山地自身も選手としてピッチに立っていた。

試合会場に観客の姿はない。

スポンサーもいなかった。

十分な資金もなかった。

それでも、クラブが掲げていた目標は今と変わらない。

「大阪市からJリーグへ。」

当時、大阪府3部に所属していたクラブがJリーグを目指すと言えば、笑われることも少なくなかったという。

「何回もバカにされました。でも、自分は本気で昇格していこうと思っていました」

それから5年。

OsakaCitySCは大阪府3部、2部、1部、プラチナリーグを経て関西リーグへ進出。

関西1部を視界に捉えるところまで歩みを進めた。

その道のりは、決して一直線ではなかった。


今も夢に出てくる「2022年」

最初の昇格は2021年。

大阪府3部を制し、2部へと駒を進めた。

しかし、その勢いは翌年、一度止まる。

2022年、大阪府2部。

昇格を懸けた豊中FC戦で、試合終盤に失点。

昇格を逃した。

「あのゴールは今でもたまに夢に出てきます」

山地はそう振り返る。

結果は大阪府2部残留。

Jリーグを目指すと公言していたクラブにとって、府2部で足踏みした事実は重かった。

さらに当時は、現在ほどクラブ全体に「絶対に昇格する」という意識が浸透していたわけでもなかった。

「本当に絶望しました」

この敗戦が、クラブの転機になる。

単に強い選手を集めるだけでは上には行けない。

選手、スタッフ、練習環境、組織、スポンサー。

クラブそのものを変える必要がある。

「いつかJリーグへ行けたらいいクラブ」ではなく、

「本当にJリーグへ行くクラブ」を作る。

その意識が、少しずつクラブを変えていった。


再起。そして無敗優勝

2023年。

OsakaCitySCは再び大阪府2部に挑み、優勝。

1部への昇格を決めた。

一度止まった歩みを、再び前へ進めた。

翌2024年には大阪府1部を無敗で制覇。

大阪府最高峰のプラチナリーグへ昇格した。

大阪府3部。

大阪府2部。

大阪府1部。

少しずつカテゴリーが上がるにつれ、クラブを取り巻く景色も変化していった。

「大阪市からJリーグへ」

かつて笑われることもあったその言葉に、少しずつ結果が伴い始めた。


観客0人だったクラブが、日本一に

2025年。

プラチナリーグを戦うOsakaCitySCに、大きな転機が訪れる。

全国クラブチームサッカー選手権大会への初出場。

そして、初優勝。

クラブ史上初となる「日本一」を手にした。

数年前まで観客は0人。

スタッフは1人。

スポンサーもいなかった。

そのクラブが、全国大会の決勝を戦い、頂点に立った。

「『俺たちはここまで来たんだ』と実感しました」

リーグ昇格とは別の大会だった。

それでも、クラブの成長を実感するには十分すぎる出来事だった。

現在では、クラブから報酬を受け取りながら競技を続ける選手もいる。

スタッフも増えた。

スポンサー企業やサポーターの存在もある。

山地は言う。

「昔を知っているから、今は本当に幸せです。今あるものを当たり前だとは思いたくない」


大阪府を制覇。しかし――

同年、OsakaCitySCはプラチナリーグも制した。

大阪府3部から始まったクラブが、大阪府の頂点まで上り詰めた。

次なる目標は、関西サッカーリーグ。

しかし、府リーグ優勝だけで昇格できるわけではない。

関西府県サッカーリーグ決勝大会を勝ち抜く必要があった。

そして2026年1月11日。

BANDITO生駒との決勝。

勝てば関西2部への自動昇格が決まる一戦だった。

結果は0-4。

完敗だった。

「終わったと思いました」

ロッカールームの空気は重かった。

帰路についても、その空気は変わらなかったという。

山地は当時を、

「地獄でした」

と表現する。

2022年、豊中FC戦で昇格を逃した記憶が重なった。

また一年、同じカテゴリーを戦うことになるのか。

あと一勝まで来て、また止まるのか。

ただ、今回はまだ最後のチャンスが残されていた。 


6日後。負ければ終わり

1月17日。

関西リーグ入替戦。

相手はSt.Andrew’s F.C。

勝利だけが、昇格条件だった。

0-4の敗戦からわずか6日。

チームが掲げたテーマは単純だった。

「全てを出し切る」

しかし、前半を0-1で終える。

引き分けでも昇格できない。

残された45分で、最低でも2点が必要だった。

後半。

OsakaCitySCは同点に追いつく。

さらに逆転。

2-1。

そのまま試合終了の笛を迎えた。

関西サッカーリーグDivision2昇格。

大阪府3部から始まったクラブが、初めて大阪府の枠を飛び出した瞬間だった。


「絶対に上がると信じてます」

クラブの成長を象徴する言葉がある。

サポーターから届けられた、

「絶対に上がると信じてます」

という一言だ。

かつて、試合会場には誰もいなかった。

今は、クラブの未来を信じる人がいる。

「自分たちが『上がります』と言うのとは違う。誰かが僕たちの未来を信じてくれている。それが本当に嬉しい」

OsakaCitySCはいつしか、選手やスタッフだけのクラブではなくなっていた。


初挑戦の関西2部でも、目標は「残留」ではなかった

2026年。

初めて挑む関西サッカーリーグDivision2。

昇格直後のクラブが掲げた目標は、残留ではない。

優勝と、関西1部昇格だった。

シーズン中にはクラブ体制の変化もあった。

監督交代も経験した。

全国社会人サッカー選手権大会への挑戦も、道半ばで途絶えた。

それでもリーグ戦では勝点を積み重ねた。

8月30日の神戸FC1970戦。

0-2。

敗色濃厚となった86分に1点を返す。

そして90+11分。

同点ゴール。

2-2。

最後の最後で勝点1を手繰り寄せた。

振り返れば、このクラブは何度も追い込まれている。

2022年には昇格を逃した。

関西昇格を懸けた決勝では0-4で敗れた。

入替戦では0-1。

神戸戦では0-2。

それでも、歩みを止めなかった。


大阪府3部から、関西1部へ

カテゴリーだけを並べれば、歴史は短い。

大阪府3部。

大阪府2部。

大阪府1部。

大阪府プラチナリーグ。

関西2部。

そして、関西1部へ。

しかし、その一行と一行の間には、数え切れないほどの出来事がある。

勝利。

敗戦。

昇格。

残留。

選手との出会いと別れ。

支えてきたスタッフ。

スポンサー企業。

そしてサポーター。

順位表には残らない時間の積み重ねが、今のOsakaCitySCを作っている。

山地は、クラブの成長を実感する瞬間についてこう話す。

「順位表を見た時より、昔を思い出した時ですね」

スタッフは自分一人。

観客は0人。

スポンサーもいない。

代表自身が選手として試合に出ていた。

そんな時代から、ここまで来た。

もし、当時の自分に今のOsakaCitySCを見せることができたら。

「めちゃくちゃ喜ぶと思います」

少し間を置いて、こう続ける。

「でもたぶん、『まだJリーグ行ってないやん』って言うと思います」


関西1部は、ゴールではない。

クラブが最初から掲げてきたのは、

「大阪市からJリーグへ。」

その先にはJFLがあり、Jリーグがある。

上へ進むほど、求められるものは大きくなる。

それでも、数年前とは違う。

何もなかった大阪府3部の時代から、本当にここまで来たという事実がある。

観客0人。

スタッフ1人。

選手15人。

ゴルフ場の下のフットサルコート。

そこから始まったOsakaCitySCの挑戦は、

まだ終わっていない。

大阪市からJリーグへ。

クラブは今も、その途中を走り続けている。

■Osaka City SCについて

Osaka City SCは、「大阪のど真ん中に、誰もが熱狂できるクラブを創る」という想いから誕生しました。「挑む者が世界を揺らす」をスローガンに掲げ、圧倒的な強さで「史上最速でのJリーグ昇格」を目指しています。

■Osaka City SC 公式SNS

Instagram:https://www.instagram.com/osakacity_sc/
X:https://x.com/osakacitysc

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